別れと再会と…

ケアンズから今晩は! もこなです

しばらくブログがストップしていましたが私は無事生存しています

最後に書いたブログが「ミツバチに刺された時の対応」とか物騒な記事を量産していたので、ついには毒蛇に噛まれでもしたのではないかと思われていそうな悲運の旅人もこな

私は本日シドニーからケアンズへ飛行機で舞い戻って来ました!

私はhelpxというボランティアシステムを利用してオーストラリアを旅しているワーホリメーカーです

この度6週間と数日お世話になったブラックヒースBlackheathからシドニーへ移動

シドニーには昨年ポルトガルのファロのホステルで一緒に働いたリトアニア人のお友達が住んでいるので彼女に会う為に2泊し一緒にランチ

私は都会型の人間ではないため、友達に会う約束がない限りシドニーなどと言う大都会に滞在することはまずありません

ハッキリ言って都会は疲れます!

それまでブラックヒースなんて言うマイナーな観光地(山歩きやロッククライミングが趣味でもない限り行かない観光地)に6週間のどかな田舎生活を満喫していたせいで、シドニーの都会度を半端なく感じました

しかしブラックヒースはシドニーから電車一本で2時間少々のブルーマウンテンズ自然公園にある町なんですがね

ここのところブログがストップしてしまった最大の理由はブラックヒースのヘルパー仲間との別れが原因

私が6週間もブラックヒースに留まった最大の理由も友達

本当に別れるのが辛くて辛くて仕方がなかった

本当に良い友人達に出会うことが出来ました!

ブラックヒースは私にとってオーストラリアで7件目のhelpxになります

実は6件目のhelpxオーナーに12月初旬に戻る約束をして来たので約7週間を使い、ブルーマウンテンズとタスマニアでhelpxをして6件目のhelpx先に戻ろうと計画していました

しかしブラックヒースのヘルパー仲間との生活が楽し過ぎたのでタスマニア案は廃案

結果ブラックヒースに6週間以上滞在することになりました

ブラックヒースで私はB&B兼ホステルの清掃業を手伝っていました

5時間×5日、週休2日のボランティアで無料の宿と食事が提供されるというものです

しかし仕事の話を正直に話すと、少し不公平な気持ちになることが多いホストでした

ホストは悪い人ではないのですが、気づきが悪いと言いますかヘルパーが臨時の仕事(本来はヘルパーの仕事ではないのですが、宿泊施設をキレイに保つため時間外の清掃をすることが度々ありました)をこなしても「ありがとう」の一言もなく、仕事の評価があったりなかったり

またB&Bで週末時々開催されたイベントの手伝いへの誘い方が「イベントで出される食事はもちろんヘルパーが食べても良いわよ!専用のシェフを呼ぶから美味しいし特別な食事になるわ!でも食べたら皿洗いをお願いできないかな?」のような微妙な頼まれ方…本来でしたら5時間働けば無料で食事が提供される約束なのですから臨時の皿洗いまでする必要はありません

イベント毎に皿洗いの臨時業が発生(少々のおこづかいをもらいましたが自由時間が減ります)

3週間程イベント臨時の仕事が続き、最終週はついに既存のヘルパー全員でギブアップ

「食事は自分達で作るのでいりません、イベントの手伝いは辞退します」と皆でピザ作りし映画鑑賞会をしました

清掃の仕事は難しい訳ではありません

しかし思っている以上に時間がかかります

宿泊施設ですので、お客さんがチェックアウトしてからチェックインするまでに客室をキレイにする必要があります

それと朝食のブッフェサービスとその片づけ、朝食サービス用のキッチン掃除とタオル類の洗濯を同時にこなします

ブラックヒースはブルーマウンテンズ自然公園の中でもカトゥーンバ程有名な観光地ではありませんので月~金曜日の客室は空いています

イベントのある週末は満室御礼なので朝食サービスの時間も長くなり、客室掃除数も多くなります

週末は怒涛の忙しさで毎週末疲れきっていました

宿泊施設のボランティアでは大抵他にもヘルパーがいます

ブラックヒースで出会った主なヘルパーは3人、全員イタリア人(カップルと一人旅の男性)です

私はイタリア贔屓な旅人で、イタリア語を少々話しますので私を含めて4人「チームイタリア」のヘルパーグループとなりました

しかもイタリア人の女の子フェデリカはイタリアの大学で3年間日本語を勉強し、個人的に日本を旅行して日本語力を高めた大の日本好き!

私がヘルパーとして到着したその日から「日本人ヘルパーが来る!」と楽しみにしていてくれて、大変ウェルカムな雰囲気を作ってくれました

フェデリカとは始終日本語で会話(彼女の理解力は今まで会った外国人日本語学習者の中でも高め)2人だけの秘密の言語になりました

オーナーに対する愚痴はイタリア語

普段は英語と3か国語が入り乱れたボランティア環境でした

夕食は各自自身で用意し済ませるのですが、フェデリカがミネストローネをご馳走してくれたり、皆で手巻き寿司をしたりで楽しく過ごしました

食後は皆でお茶をしながら一日を振り返ったり、明日の予定を立てたり(ヘルパーだけだとイタリア語が公用になります)

仕事は忙しくても皆で助け合って愚痴りあってで、毎日毎日惜しい程に楽しかった!

最後の一週間は「このまま時間が止まってしまえば良いのに!」毎日思いました

正直ここまで他のヘルパーと仲良くなるのは珍しいです

私はオーストラリアの前にヨーロッパで8件のhelpxをこなしていますが、ここまで仲良くなった友達は少ないです

昨日シドニーで再会したリトアニア人キャミーはファロのホステルで働いている時からオーストラリアで再会する約束をしていたので「またオーストラリアで!」と別れた為悲壮感は少なかったです←今回は「またヨーロッパで!」と約束した

因みにファロでの友達はやはり少し特別で、今でもフェイスブックを使い連絡を取り合っていますが全員ではありません(人数が12人以上なので)

ブラックヒースはヘルパー4人だけだったので濃く一緒の時間を過ごした感じです(他にもヘルパーは来たのですが、仕事に対する姿勢が違い過ぎる為グループの輪に入ることなく去った感じです)

ブラックヒース最後の夜はフェデリカと抱き合って「今日が最後なんだねぇ」と号泣

旅立ちの時も号泣でフェデリカは彼氏のダニーと一緒に南を目指して行ってしまいました

もう悲しくて悲しくて仕方がありませんでした

私は一人電車に乗ってシドニーへ

しかし電車のなかでも涙は止まらず、シドニーで予約したホステルに到着した時も時々グズッていました

あまりにも泣いていたからホステルのスタッフさんが話を聞いてくれました(しかも次の日カフェのコーヒー無料券と「今日は少し良くなっていると良いね!」のメモ書きが私のベッドに置いてありました!)

話をしたいと思い6件目のhelpxで知り合った日本人ヘルパーの人(現在シドニー在住)に急でしたが話を聞いてもらい、涙が収まったところで就寝

もう泣き過ぎて目の周りが大変なことになっていました

思えばこんなに泣きまくったのは久しぶりです

ボランティアをしていても別れる際泣くことはめったにありませんでした

それだけに涙の止め方が分からず、混乱していました

今も少し寂しいです

旅をしていると再会が出来そうな人と難しそうな人とがいます

私は再会できるならしたいけれど、私自身どこへ行くか予想がつかないので絶対の約束は不可能な部類の人です←意味不明

糸のない凧のようにどこへ行くか不明の旅です

そしてフェデリカ達も似ています

こうなると再会の約束が難しい

どこかでまた会えるとは思っています、しかし「いつ」になるのかは分かりません

まったく個人旅とは厄介なものです

ケアンズに着いたというのに未だに少し悲しい

こんな素敵な出会いが出来るとはワーホリってやっぱり楽しいです

私の旅は後半戦

次はどんな出会いがあるのか、楽しみです

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